ccob1207の日記

枕カバーみたいな人生おくってる

2015.12.7とかいう奇跡

12月の私は忙しい。

というのも、12月7日は我が貢ぎ先である桜田通くんがこの世に生を受けた日だからだ。

誕生日ともなればイベントだってする(今年はしないけど)し、事務所お抱え俳優の集まったライブだってある(今年はハンサムライブしないけど)し、あれやこれやと雑誌を追いかけていくうちに、お金が回らなくなる。

まあ、それも恒例行事だなぁ、とすっかり事務所に飼い慣らされてきたヲタクとしてはしみじみ思う。でも、毎年、これだけは疑問に感じる。

「私は、何で桜田通が好きなんだ?」

 未だに、どうして自分が『桜田通』を好きになったのか分からない。どーりよりかっこいい人だって、どーりより演技が上手い人だって世の中広いんだから、そりゃ沢山いる。でも、私が追いかけていきたいと思うのは『桜田通』だけだ。その感覚を言い表そうとすると、どうしても言葉が足りなくなる。結果、尊いとしか言えない。

でも、これだけははっきりとしている。

どーりのファンでいると、 幾度となく、「桜田通のファンでよかった」って思わせてくれる瞬間がある。

私はその瞬間のためだけに福沢諭吉と何度も別れてきたし、今だって別れた諭吉に対して未練を感じていない。
多分、福沢諭吉が夜景の見える高級レストランでシャンパン片手に「もう1度お前の傍にいたい」って口説き落としてきたって、私は桜田通を眼球に焼きつけるためにその諭吉をFamiポー〇にリユースするだろう。

ブログにしろ、イベントでの発言にしろ、『桜田通』は私達の声に耳を傾けて、言葉を返そうとする。その舞台に立っている瞬間は俳優であることに誠実であり続けようとする。

そりゃ、留学のときは最初は「何を考えてるんだ…」って思ったし、どーりの言うこと成すことすべてにイエスマンでいられないときもあった。

でも、少なくとも。
どーりがぶつかった壁を、踏みしめてきたものを、何年越しだろうと、ゆっくりだろうと、確実に成長としてみせてくれる。爪跡を残そうとしてくれる。
喜びだとか、生々しい悔しさだとか嫉妬だとか焦りだとか、そういう感じたものを私達に自分なりに消化して表現してくれる彼を私は好ましく思うし、彼の言葉には不思議と耳を傾けてしまう。

「だから好き」だし、「それでも好き」だ。

この先、「俳優:桜田通」がどうなるかなんて分からない。でも、馬鹿みたいに毎年12月7日にケーキを買って、ブログの更新を待ちわびる、そんな1年に1度を過ごすのも悪くないなあ、って私は思う。


政治家の演説並に長くなったくせに、3分の1も伝わらなかった私のあまり純情でない感情を書き綴ってしまって、あんまりお祝い感がなくなっちゃったけど、ひとまずは、まあ、これで締めくくらせてね。





桜田通くん、お誕生日おめでとう。
今年の君も素敵に輝くことを祈ってます。